気になる検索+α

口内炎が二つ出来ているえむぞうです。コンバンハ。
そうだというのに大好きな伊予柑をひーひーいいながら食べるえむぞうでもあります。くいしんぼうです。


さて、来訪者様の検索ワードをネタにする、ちょっとタチの悪い“気になる検索”シリーズですが、分かっていても今日もやります。だってネタになるんだものw
先日はこんなのがありました。

  • 嫌われる小学校教師

私が小学校時代、嫌われている先生は勿論沢山いましたが(笑)直接関わった中でもっとも強烈なのといえば、小学校4年のときの産休代行担任N先生ですね。
そもそも、4年生に進級した時点で担任の先生は既に産休に入っていて、代行教員であるN先生に私のクラスは4月から3月まで教えられていたと言う事にびっくりですが。本来の担任の先生と関わったのは最後の1週間だけでしたよ(^^;
非常に怖い先生で、若干トラウマを植えつけられたりもしたのですが、大人になってから思い出してみるとN先生の言動にちょっとしたオチがつく事に気がつきました。ネタになるかもー、と思って、いつか機会があったらブログで書こうと思っていまして。今回がその機会やもしれませんので、ちょっとかいてみましょうかね。
若干ダークサイド寄りな話となるかもしれないので、とりあえずたたみます。最近ちょっとブログの内容がダークサイド寄りですね。きっと口内炎だからでしょう(ぇ


さてN先生、当時60前後の男性でした。子供の背丈くらいの角棒をいつも持っていて、大声で怒鳴るように話しながら床とか黒板をその角棒でばんばん叩き、授業中に生徒の態度が少しでも気に障れば、生徒の鼻先に角棒を突きつけて怒鳴りつけます。一番前の席の子が、消しゴムの貸し借りをしているのを発見したときに、何も言わずに机を蹴倒した事もあります。かといって、忘れ物をした生徒が隣の席の人に借りてもいいですか、と許可を取りにいっても、角棒を突きつけて怒鳴ります。


しかしながらその角棒は、学年の後半に生徒に折られまして、N先生はしょんぼりしながら木工用ボンドで修復を試みていました(ムリ・・・笑)
その後、少し勢いがなくなりました。あの先生の自信の大部分は角棒にあったみたいです(笑)


厳しくても、生徒をきちんと教育してくれる先生ならいいじゃないか、という意見もあるかと思いますが、そんな都合のいい生き物はそうそう存在しません。私はこのN先生に“桁の大きい数字は読みやすくするために、コンマを4桁ごとに入れる”と教わりましたw
塾にいっている子などは、N先生の前では4桁ごとにコンマをつけ、他では普通に3桁ごとにつけていたみたいですが、塾通いをしていなかった私はその後数年勘違いしたままでしたww


このN先生、大学時代が丁度戦時中で、出征はしなかったものの工場で働いて、勉強は出来なかったそうです。戦争が終わると同時に教員免許をもらったとか。恩赦ってやつですね。(ちなみに私の祖父も恩赦で教員になった人です)そして若いうちに数千円で買った土地が、今や一坪1億円程度になり(当時はバブルでした)、しょっちゅう土地を売ってくれと人が来るんだなんて自慢話、家族構成や奥さんの病気の話、看病のために自分は早めに教職を退いたが、是非にと頼まれて、嘱託という形でこうして教師をしているとか。その他諸々、自分のプロフィールを生徒にたっぷり話してくれました。帰りの会のときとかに。


そんなわけで、帰りの会に30分くらいかかる事がしばしばでした(^^;;;)


そうすると、他のクラスはとっとと帰りの会が終わり、うちのクラスに下校仲間のいる生徒たちが待っているわけですよ。あまりに待ち時間が長いと、廊下も段々騒がしくなります。するとN先生は廊下で待っている生徒たちを怒鳴ります。
「うるさい!お前たちのクラスが終わったんならさっさと帰れ!」
生徒「●●君待ってるんですよう」
「待たなくていい!同じクラスの奴と帰れ!」
当時、学校周辺に変質者が出没するという話があり、学校側は生徒に、1人で下校しないで必ず友人と下校するように!と指導していましたが、そんな学校の方針などどこ吹く風で、N先生は自分史を語り続けたのでした・・・w


防災訓練の際には、地震の恐ろしさを生徒につたえるべく、学校にいる場合、家にいる場合、外出中、地下にいるとき、など、シチュエイションごとにいかにして人が死ぬかを懇切丁寧に語ってくれました。最後は必ず「みんな死ぬんだ」で終わる話でした。軽くトラウマになりました_| ̄|○
あと、地割れの後は必ずそこが閉まるから、地割れに落ちた人は潰されるとか?他の人の手を借りて落ちないように踏ん張っても足は潰れるだろうとか?その後、何度か地震による地割れの様子を見ることになったわけですが、閉まりませんよね、地割れって(^^;;)


そんな超個性的なN先生でしたが、戦争体験だけでなく、なかなかの苦労人(?)だったようで。
ある日奥さんの体に沢山の水ぶくれができ、病院に連れて行ったところ「この病気は治らない」と言われたのだとか。
後から思い出してみるとこの奥さんの病気、症状の重い帯状疱疹だったと思うのですが。この病気は治らない、なんて事はないですよね。後遺症がある場合はあるみたいですが。推測ですが「ウィルスは一生体の中に持っている」というのを「治らない」と解釈したのではないかと(^^;)
とにかく、奥さんの不治の病(?)にショックを受けたN先生は街をさまよったそうです。
すると新宿あたりで、占い師に声をかけられたのだとか。その占い師さん曰く「あなたはちゃんとご先祖にお祈りしていないからこうなるのですよ」「家に仏壇を置いていないでしょう?」見事に仏壇を置いていないことを言い当てられたN先生は、早速仏壇を買い毎日お祈りをしました。すると、不治の病だったはずの奥さんの症状は日に日に良くなっていったのだそうです(だから帯状疱疹は・・・以下略)


そんな話を日々聞かされました。あと、写経をすると死ぬのが怖くなくなるんだとかいう話もされたような。相手は小学校4年生ですよ。一体私は何を教えられていたのだろうかと思ったり(笑)
新宿で声をかけてくる占い師と言われてもピンと来ない方は“新宿 手相 勉強”とかで検索をかけてみると、大体イメージがつかめるのではないかと。新宿には普通の占い師もいますが、自分から声をかけてくる占い師といえば“手相の勉強をしてる者”でしょう。仏壇はどこで買ったんだか(^^;;)