今週のお題:私と読書

スケートの録画を整理しつつ、時代ものの小説を読んでいるえむぞうです。コンバンハ。
お蔭様で、脳内がフィギュアスケートと江戸の町に交互に染められてなかなか乙な事態ですw


ところで、少し前からはてなでは、メルマガで出される「今週のお題」に沿ったブログを書いて、あわよくばはてなTシャツを貰ってしまえという企画をやっているようですよ。
開始当初から、書けそうなお題が出たら参加してみようと、

虎視眈々猫視にゃんにゃん


と狙っていたりいなかったりしました。
で、今回のお題が「私と読書
これに反応するということは、えむぞうは読書好き・・・・・・ではないのですね。むしろ嫌い。
しかし、子供の頃から本に囲まれて育っております。今現在も、我が家は本で押しつぶされそうです。親のね。
子供の頃は私も、本を読ませておけばおとなしい子供でしたよ。でも、本が好きだったというわけではなく、そう振舞っていれば親が喜ぶからそうしていただけなのでした。


子供が本を読むと喜ぶならば、その両親は読書好きか。
母は読書好きでした。今も本で家を潰しそうな勢いです。小中学生の頃は、図書委員になって図書室の本を全部読破したのだとか。
父は多分違ったのでしょう。文学青年になりたかった人に過ぎません。本好きである事が頭がよさそうでかっこいいと思っていた無教養なおっさんでした。そしてまた困ったことに、自分が「こうなりたい」と思ったら、その瞬間から「こうなった」と思い込めてしまう人でもありました。だから、仰々しい文学全集なんかを大枚はたいて買い込んで、読まずに放置してたまった埃ははたきもしませんでした。それでも「本にこれだけ金をかけられる自分は読書好き」と思って満足していました。そして、母が推理小説などを文庫で買ってくると「お前はどうしてそんな、金払う価値のない本に金を出すんだ」と罵っていました。
そんな父親の姿を見ているうちに、私にとって本を読むことは、敷居が高く重苦しいものになりました。興味の赴くままに本を選ぼうとすると、頭の中に「そんな本を読んで・・・お前は本当に恥ずかしい奴だな」という父の声が響くようになっていました。


その父もとうに亡くなり、今は父曰く「くだらない」推理小説などをぼつぼつ読んでいます。くだらない本を沢山読みたいと思っています。


でも、今になって、やっぱり自分がもう少し読書好きでいられたらなーと思いますよ。
父が生きている間は、父に気を遣ってあまりあれこれ語らなかった母ですが、いざ喋らせてみると話題が豊富です。なんでそんな事知ってるの、という事まで。特にロシア関係に詳しい。フィギュアスケートにはまると、どうしてもロシア関連のあれこれが目に付くようになるのですが、独特なロシア文化に「なんだこれ?」と私が戸惑っていると、母がスラスラと説明してくれます。そういえば、昔から家の本棚にはドストエフスキーだとか、レーニンがどうしたとかトロツキーがなんだとかいう本が並んでいました。キリル文字もちょっと分かるらしい。ロシアの作曲家にも詳しい。どうやら学生の時分に結構ロシア(当時はソ連)に憧れていたようです。
そんな母を見ていると、好きで楽しんで身につけた知識は強いなーと思います。楽しんで身につけた知識から、また更に楽しみを広げることもできますしね。
本当に、読書経験は人生の財産なのだなと思いますよ。ただし楽しめれば。
本は読んだ方がいいし、音楽も聴いたり演奏したりした方がいい、絵も描いたり見たりした方がいい。でもその大前提は楽しむこと。
コレを読めば偉い、これを聴けば偉い、他はくだらないみたいな強制の上での経験は浪費にしかならないのでしょう。多分。