Deaf Jam

世界選手権を目前に控え、HDDの残量が大体3時間分くらいのえむぞうですよ。コンバンハ。
そんなわけでスキあらば録画を消化してHDDの容量空けに努める・・・努めたい。そんな日々のジレンマに苛まれていますが苛まれるだけでは容量は空かないのです。
いかに苛まれているだけかというのは、私が利用している各種ネットサービスなどから窺える動向を見ても明らかでしょう。見ろとは言っていません。


そんなわけで、見たらすぐ消せばいいと思い、真っ先に消化候補に挙がるのが『BS世界のドキュメンタリー』その名のとおり、世界各地のドキュメンタリーが放送される番組ですよ。NHK BSでやっています。BSだからデータ量食うのですよね。その分、見てサクッと消してしまえば容量がドンと空くので爽快感があります。
月〜木の0:00〜0:50という、微妙にそこを抑えられちゃうと身動きのとり辛い時間帯にやっているので、いきおい録画が溜まるわけですよ。
これを見ていると、映画とかを見るにもなんとなく理解しやすくなったりすると思うのですよ。まあ私がこの年までいかに無学であったかというだけの話やもしれませんがね。以前CSでやっていた『正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官』という映画を見たときも、世界のドキュメンタリーを見ていたおかげで少なからず理解が早かったと思っておりますよ。これに出てくるハビエールという男が、スケオタの愛するハビーと名前だけでなく容貌も似ていて、しかも結構アレな役どころで複雑な気分になったりもしましたが。


そしてなんとここまで前置きです。
ここから本題です。


というわけで、先日録画していたアメリカのドキュメンタリー『Deaf Jam』を見たのですよ。邦題は『デフ・ジャム〜聴いて!私の手話の詩(うた)〜』です。
これがですね。見たら消せばいいやと思いつつ、うっかり感動してしまって消すのが惜しくなっているのですよ。困ったものです。
タイトルの通り、ろう者の少女が手話による詩を披露する姿を時間をかけて追ったドキュメンタリーです。
その少女がイスラエルからアメリカにやって来て、まだグリーンカードを取得できていないとか、家族全員ろうだとか、生活が楽でないとか、進学するにも聴覚障害者に支払われる補助はグリーンカードを取得しないと得られないとか、手話文化に対してDeafの人たちが持つ誇りについてとか、そんな彼女がパレスチナ出身の少女と共同で詩を作る過程とか、50分の間に脇に置いておけない要素満載なのですが、でもまず第一に、ただただ披露される詩の力強さに圧倒されました。
脇に置いておけない要素とさっき書き並べましたが、脇に置くのではなくそれらを全てからだの内側に積み上げた上で詩として外に向かって吐き出されるからこその力強さなのでしょう。
大きなテーマに、手話話者と「聞こえる人たち」との間のコミュニケーションの壁があるようなのですが、共同で詩を作る事になったパレスチナ出身の少女は聴覚障害を持ってはいないし、手話もできないのです。でも主人公の少女とコミュニケーションをとる内に、自然と少しずつ会話に手話が混じってくるあたりなんかもいいなあと思いましたよ。それは、あれです。最近ベネディクト・カンバーバッチにはまっているので、英語理解したい欲が亢進しているからwこんな風に言葉を覚えていけたらなあみたいなそんなあれもあったりするのです。
思えば、詩すなわちポエムに対しての身構えみたいなものも、カンバーバッチの波がやって来たあたりから少なくなっていったのですよ。詩の朗読なんかもやってますからね。我ながら単純ですが、そんな自分内の展開があったからこそ、今回のこのドキュメンタリーを見るにあたってもより響くものがあったのではないかと。
そもそも『SHERLOCK』には、テンポのよさとかミュージックビデオのような雰囲気の映像からはまったのですが、シャーロック役の彼の声の魅力に気付いてしまってからは言葉に対する興味がふつふつと沸き立っているのですよ。熱が冷めないうちにうまいこと昇華できたらいいのですがね。


話が逸れまくりましたがこの話終わりですよ。
で、HDDどうしよう・・・